FC2ブログ

センチメンタルだった一日

朝から雨が降り続く、何もすることもない。
最近、散歩しても撮れる被写体が無い、(marukeiの感性が無いだけ)当然ネタもなくなる。

わずかであるが悩みもある、考えてもなるようにしかならないが我ながら細かい神経にさわる。
降りしきる雨を見ていると何ゆえか感傷的なる、そして思い出す。

2008年、旧野麦街道を歩いた日の事を・・・  (2008年当時の写真が残っていた)

hp2.jpg

野麦峠に向かう飛騨側の集落から乗鞍岳、この峠を越えて岡谷へ工女として働きに出された
娘たち、そんな当時の事を考えながら歩いた道、思わず目頭が熱くなったことを思い出した。



”女工哀史”や”ああ野麦峠”で知られた地、旧野麦街道。

明治~大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所。
標高1672mの野麦峠、かつて13歳前後の娘達が列をなしてこの峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かった。
故郷へ帰る年の暮れには、雪の降り積もる険しい道中で、郷里の親に会うことも出来ず死んでいった娘たちも数多い。

2008年の梅雨明け、同じ季節は歩けないが、自分の足や目で確かめてみたくなった。

hp6.jpg

厳しく細い山道や断崖、真冬の山道は想像を絶する過酷な道だったことがうかがえる。

hp12.jpg

初夏の街道はニリンソウや色とりどりの野草が咲く素敵な道だった。
一列になって年上の娘が腰ひもを結んで繋ぎ、風雪に耐えながら先導する姿が目に浮かんだ。

”ああ野麦峠”、病気になった妹のみねを背中に背負って夜を徹して歩いて、そして背中のみねが絶命した
とされる地に着いた。

hp10.jpg

背中のみねが叫ぶ、”ああ飛騨が見える、飛騨が見える”・・・振り返ってみた。

hp11.jpg

飛騨の山々と里が見えた、突然に目頭が熱くなってしまった・・・
妻に涙を見せまいとしてふるまったが流れ落ちる熱いものを止められなかった。

hp16.jpg

新野麦峠には背負われたみねと兄の銅像があった。

hp88.jpg

過酷な峠にたった一軒、娘たちの救いの場所”お助け小屋”、今はライダーやドライバーの休憩茶屋。
当時のことは店先の昔を伝える案内でしかなかった。

峠から少し戻った場所に”女工哀史館”がある、立ち寄るとまたもや目頭が熱くなるので近くの池の辺で休んだ。

hp17.jpg

雄大な乗鞍岳の姿を見ながら当時の事を考えてみたりした。

女工哀史はフィクションであり事実だったのであろう、しかし後にわかったことは
岡谷の工場も書かれているようなヒドイ工場だけではなかったらしい、娘たちを大事にしていた事実もある。

飛騨古川から高山、乙女峠を越え、野麦を超えて岡谷まで・・・140kmもある。
寒村、口減らし、歴史は語るがあまりにも過酷だと思って読んだ、そして映像でみた。

実際に歩いてみても解りはしないがセンチメンタルな気持ちになるのには十分だった。

           スズラン

同じ道を戻った、路傍のスズランが当時の娘たちの姿に重なった。
  
image008.jpg
 <感傷にひたった旧野麦街道MAP>

強い雨では外にも出られない、考え事をしていると心がふさぐ、そしてセンチメンタルになってしまう。
年老いても幼い心が顔をだす、そんな一日だった。

コメント